倉敷市真備より萩焼,備前焼,益子焼といった抹茶茶碗を処分する為、インターネットで検索して『蔵の美本店』にご来店頂き 買取をさせて頂きました。
本日は、萩焼の坂高麗左衛門や坂倉新兵衛と言った萩焼では名の知れた作家を評価させて頂き価格にもご納得頂きました。
◆坂高麗左衛門(さか こうらいざえもん)
萩焼の起源は約400年前、豊臣秀吉とともに朝鮮半島に渡った毛利輝元が、陶工李勺光(りしゃっこう)、李敬(りけい)の兄弟を伴って帰国したことに遡ります。
毛利氏が萩に城を移した後、萩城下松本村に開窯、二代藩主綱広公より“高麗左衛門”の名を賜る。以来、坂高麗左衛門と名乗り、萩焼の宗家として現在に至るまで伝統が受け継がれています。
十二代坂高麗左衛門は、坂家伝来の萩焼に自らの専門分野であった日本画の絵付けを施し、萩の陶芸界に新たなる風を吹き込みました。
◆坂倉新兵衛(さかくら しんべい)
山口県長門市深川の萩焼窯元・坂倉新兵衛窯の当主が代々襲名している陶芸作家としての名跡である。当代は十五代坂倉新兵衛正治。
慶長9年(1604年)に毛利輝元の命によって招致された李氏朝鮮の陶工である李勺光、李敬の兄弟が萩城下で御用窯を築いた。そのうち、兄の李勺光を初代とする名跡が坂倉新兵衛である。六代目より「坂倉」と改姓した。十二代坂倉新兵衛は萩焼を全国に広めて不振衰退から救ったことにより、中興の祖と呼ばれる。